この間まで若かったような気がするのに、いつの間にかこんな歳…
聞いた事ある、そういうセリフ。陳腐なもんです。
でも事実で。
水城がリスペクトしまくっているアニメにこんな言葉があります。
「陳腐な策だが、効果があるからこそ多用されるし、多用されるから陳腐にもなる。」
「索」を「セリフ」に変えたって意味は同じ。
そう、冒頭のこのセリフは何度も多用されてきたセリフ。そして何故何度も多用されてきたのかと言うと、当然そう感じた人がたくさんいるから。
そういう感慨の中で多くの人は若かりし頃にやっていた「遊び」を置いていってしまう。もしくは別の遊びに変化させてしまう。
水城の場合、それをさほど変化させないまま、置いてくる事もなく今の今まで持ってきてしまった、と、そんな感じです。
水城は、多少の無理をしてでもここまで引きずってきました。大好きな「ゲーム」を。
齡40を超えて尚、水城はゲームに勤しむのです。
今のゲーム事情というと、高画質高品質、オンライン化。DLCによるひとつのゲームが延命され、またアップデートによっても延命されます。
ゲームは最早(もちろんすべてではありませんが)ひとりで黙々とやるものではなく、その多くは何かしらのコミュニケーションが生じるものとなりました。
水城がゲームを始めた頃など、周りの友人と会話したり、友達の家で一緒にやったり、ゲーム雑誌さえほとんど無かった時代。ちなみに水城はファミコン発売前から一応ゲームをしていました。
ゲームというものはただの娯楽ではなく、ツールとなり、このツールはインターネットと非常に相性が良かった。ソロプレイのゲームですら、今はコミュニケーションツールとして機能します。
ソロプレイのゲームがどうしたらコミュニケーションツールとして機能するのかというと、それはゲーム実況というものの存在です。
今や誰だって手軽にゲームをネットに配信出来ます。パソコンやキャプチャーボードさえいりません。
そういえば水城が初めてゲーム動画を撮影したのはXBOX360の頃に色んなケーブルを変換しまくって、とてつもなく低画質な「FARCRY2」というゲームの動画をニコニコ動画にアップしたのが最初でした。あの頃既にゲーム実況の元になるようなゲーム動画は既にありました。
とにもかくにも、今、ゲームはひとつのコミュニケーションツールとしての地位を確立したと言えると思います。
少し前からTwitterでゲーム好きな人と繋がりを持ちたいと思い、何人かフォローしたりされたりしました。これだって起点はゲームですし、そういう繋がりを簡単に持てるようになったという事です。そしてフォローしている方々の中にはゲーム実況をされている方もいる。
ゲーム実況という部分を中心にすると、また別の側面も出てきます。コミュニケーションツールとして、承認欲求を満たすため、もしくは収益化を目指すため。
世の中は変わりました。
水城はもう10年以上「竜戯」というグループのリーダーをしております。まぁ、リーダーというのは名前だけで権限などありませんけど。
この「竜戯」のメンバーも基本的にはネットでゲームを通じて知り合ったみんなです。今や一緒に旅行に行ったり、飲み会したり、TDL行ったり、ネット友達という言い方では表現出来ません。
この「竜戯」にしたって変わってきました。
そう、いろんなものが変化する。
変わるもの、変わらないもの、どちらもあるけど、どちらかだけではありません。
水城がいくらおっさんになっても「ゲーム」を変わらずやっている事、でもその「ゲーム」との向き合い方が変化した事、「ゲーム」を通じて出会い別れ、新しい事を始めてみて、また止めて。
中年という年齢に差し掛かったり、例えば家族環境に変化があったりして、ゲームやゲームを通した友人達との関わり方も変化し、新しくなっていきます。
水城はそんな中でも、中年という「引け目」をやや感じつつも、それでもやはり新しい事をやっていきたい。
昔、私の友人が私を「趣味侍」と表した事がありました。歩みを止めない事、怖じ気づかない事、挑戦し続ける事。
しっかり大切にしていきたいですね。
…昼間っから、何書いてんだろね。